ずっと、もう小さい時からずっと、いじめられたり仲間外れにされたり、大人数では遊べなかったり…小学2年生の時にはクラス全員の前で「お前は暗いからダメなんだ、友達もできないんだ!○○(すごく美人で愛嬌のあるクラスの人気者女子)を見習え!多少頭は悪くてもこの明るさでみんなとうまくやってるだろ!」と怒鳴られ…涙。小学3年生の時は友達がたった一人しかできないことを懸念され、通知表に「人間関係✖。△△さんとしか遊べない」と書かれもした…。
今の時代にこんなことしたら担任はすぐさま訴えられそうだし、こちらも「そんな学校もう行かなくていい!」と不登校を正当化しそうだが、当時は「先生が言うことは絶対」で「悪いのは言われたあんただから…」という時代だったので、私はこの人見知りでコミュ障な自分を変えない限り明るい未来はないのだと、すんなり納得していた。そして40年近く経った今も、そのことがトラウマになったり思い出して落ち込むようなことは一切ない。それはたぶん当時の担任の先生が偏った見方をすることなく、得意なものはできる、苦手なものはうまくできない…と、忖度なしに褒めたり叱ったりしてくれたからかもしれないと今は思う。
人間関係について本当に思い悩んでいるのはその頃ではなく圧倒的に今現在である。誰かにいじめられるわけでも人づきあいができないことを真っ向から否定されるわけではないが、気付いたら誘ってくれる友達が誰もいないことや職場の誰かと世間話もできないことは、自分のコミュニケーション能力のなさや人とのつながりの希薄さを思い知らせ、とてもさみしく不安な気持ちになる。
思えばこの日記を始めたのだって、日常人と会話して思いを交し合うことができず頭の中で生産される言いたいことが爆発しそうになってしまうからどうにかしたくて…というのが理由だった。
話すことは苦手。自分の思いを口にすることが本当に苦手。頭の中にはきれいで熱量がちゃんとあって伝わりやすいと思われる文章をいつも用意しているのに、ひとたびそれを口に出そうとすると全然できない。「あの…」とか「なんか…」の羅列ばかりで、要領を得ないオチのない退屈な話になってしまい、相手が「ああ、つまんないな…」って思っているのが手に取るようにわかる。ここ数年で、どんどん話せなくなった。気づけばまともに話せる相手は、家族と、刺しても怒らないんじゃないかと思うぐらい優しい友達数人の前だけ。これって、まさに幼少期の自分の再来だなと思ったとき、先の担任に言われた言葉を思い出した。
先生は当時私の書いた作文を読んでこうも言ったのだ。
「これは小学2年生の書く文章じゃない。中学生が書いたみたいだ。いいじゃない、この書き方。すごくいいよ。」私の文章を読むたび、褒めるでも励ますでもなく、ただ気持ちよさそうにそう言ってくれた。嬉しかった。
だからといって書くことに自信を持てたわけじゃない。でも思いを記録しておくことが自分にとって息をするように生きるのに必要なことで、話せない代わりに何とかこれだけは手放すわけにいかないという、救いのような、お守りのようなものになっている。